日本のお菓子の歴史、あまり興味が湧きませんね。昭和になって豊かな食文化とともに花開いた感じですので、歴史好きの方でも【人】や【功績】に興味があるのでやはりお菓子の歴史には興味が湧きませんよね。
なので備忘録的な記事になりそうです。
「大昔からのお菓子」の話を今回はしますね。時代ごとに進めてみます。事象、催事などは以下から引用させて頂いております。
お菓子なんでも情報館 様
引用元:お菓子なんでも情報館
栗オネくんのプロフィール
- お菓子を仕事で試食して仕入れをする毎日
- お菓子を食べ続けて3500日更新中
- お菓子の食べ方で体重5kg減量成功!
本題がはじまる前に
おいしいお菓子を買って食べている方々の顔を想像し責任を持って記事にしていきます。
是非、記事の最後までおつき合いください。
また、各メーカー様のご協力により深堀りをしていくことが出来ますことをこの場をお借りし御礼申し上げます。
以下メーカー様の敬称は略させて頂きます。
記事を読むメリット
本記事をお読みいただければ、お菓子の事全般や太るお菓子の事や太らない食べ方などをを詳しく理解できるようになり、毎日鏡の前で悩まず健康的に無理せずストレスフリーでお菓子を食べていくことができます!
目次
日本の【お菓子】の歴史 いざスタート
お菓子の歴史を追いかけてみましょう。偉人も登場します。少しばかり長くなりますがお付き合いください。
紀元前
紀元前
紀元前
はるか昔その1
縄文式文化の頃農耕中心の生活でほしいも、焼米、米の粉、豆の粉、餅や飴などが作られる。
大和時代
隋からお菓子の製法が伝わる(小野妹子か、同行の者による伝来なのかは不明)
大和時代
大和時代
61年
甘葛煎(あまづら)、甘草飴を甘味料として用い始める。
大和時代
71年
田道間守(たじまもり・菓祖神)が垂仁天皇の命を受けて橘を常世国※に求め10年を要しその実を持ち帰ったが、天皇はすでに亡く、その陵前で断食して殉死したとつたえられています。※登世国・・・中国の南部からインド方面(神話)
大和時代
552年
搗栗、焼栗、干柿、大豆餅、小豆餅などを用いる。百済から仏像、経論が伝来する。
大和時代
609年
小野妹子が遣隋使として送られ、中国大陸から菓子が伝わる。
慶雲2年
705年
遣唐使により、唐菓子8種、菓餅14種が伝えられている。
奈良時代
奈良時代に鑑真がはちみつなどを唐より持ち帰る!
奈良時代
天平10年
738年
正倉院文書のうち「淡路国正税帳」に大豆餅、小豆餅、煎餅、浮餡餅の名が記載。
平安時代
唐より最澄が砂糖を、空海がせんべいの製法を持ち帰る!
平安時代
弘仁6年
815年
近江崇福寺僧、永忠は天皇行幸のとき、茶を煎じて奉上、この頃から唐菓子の輸入が増える。
天安1年
857年
雑餅として大餅(祭祀料)、小餅(吉例用)、薄餅、赤餅、白餅、黒餅などが多く用いられる。
延長5年
927年
律令の施行規則として「延喜式」が著され、大膳職の菓子原料に糯糒、栗糒、大豆、小豆、胡麻、味噌、塩、甘葛、栗、薯蕷、梨、桃、柚、油、橘が登場。
延久1年
1069年
羹(あつもの)※の使用盛んとなる。(48種) ※羹・・・野菜や肉を煮た吸い物
鎌倉時代
栄西上人がお茶の木を日本で植えたことでお茶の道(茶道)が栄えることになる。合わせてお茶菓子も栄えていくことに!
鎌倉時代
建久2年
1191年
禅宗の臨済宗を開いた栄西上人が宋より帰国、肥前、博多に茶を植える。
建保2年
1214年
栄西上人、喫茶養生記を著し、喫茶の風習おこる。茶道の進展に伴いそれに使用する菓子として点心が発達。羹類以外に麺類も点心として用いられる。主なものはうどん、鶏卵素麺、切麦、葛素麺、水鈍蝶結、きんとん、柳葉麺、桐皮麺、素麺、冷麺など。
仁治2年
1241年
聖一国師、宋より帰国し酒素饅頭を伝える。鎌倉幕府は風流菓子を禁止する。
室町時代
室町時代
文安1年
1444年
砂糖が日明貿易の一部となり薬や高貴者に用いられた。
天文18年
1549年
フランシスコ・ザビエルが布教のため鹿児島に上陸する。このとき、カステラ、ボール、金平糖、有平糖、※ビスカウトなどを携行してきた。※ポルトガル語でビスケット
弘治1年
1555年
茶道が盛んになり、点心に羹、麺類の他に餅類の牛皮餅、葛やき餅、葛餅、わらび餅、拘把餅、五茄餅、笹餅、御所様餅、ちまきその他が茶味として用いられる。
永禄12年
1569年
ポルトガル人の宣教師ルイス・フロイスが京都二条城で織田信長にギャマンの壺入りの金米糖を贈る。
元亀2年
1571年
織田信長が元旦に安土城で将に茶や南蛮菓子を振舞う。
安土桃山時代
豊臣秀吉がお茶会で羊羹を諸大名に振る舞う!
安土桃山時代
天正1年
1573年
南蛮菓子の輸入が盛んになる。主なものは、カスティラ、パン、ボーロ、金平糖、有平糖、カルメラ、ビスカウト、鶏卵素麺等。
天正6年
1578年
豊臣秀吉が北野で大茶会を催す。このとき、練り羊羮が諸大名に披露される。 おこし、米煎餅、きんとん、羊羹、上り餅、みたらし、団子、ちまき、葛餅、わらび餅などが料理から離れてお菓子のカテゴリに近づく。
文禄1年
1592年
村上等安が肥前名護屋※で豊臣秀吉にカステイラや南蛮菓子を献上。 ※今の佐賀県唐津市
江戸時代
江戸時代の人々の活気ある様が見て取れます。お菓子の文化が花開き始める。幕府が保身のためにいろんな禁止令を出し続けた中、お菓子にも禁止令が・・・。お土産で有名な福砂屋、松翁軒はこの頃から創業しています。庶民のお菓子への思いは止められず聞き覚えのある名前のお菓子が作られ始めます。
江戸時代
寛永1年
1624年
ポルトガル人が長崎の福砂屋にカステラの製法を伝える。
寛永12年
1635年
埼玉草加で、そばきり、もち、かたもちが売り出され、後に塩煎となる。
寛永18年
1641年
オランダ屋敷でパンを売る。 長崎より丸ボーロが佐賀へ、タルトが松山にそれぞれ伝わる。
延宝1年
1673年
イギリス船リータン号が長崎でビスケットを注文する。 博多の松屋利右衛門が長崎でオランダ人から玉子ソーメンの製法を習う。
天和3年
1683年
菓子と水菓子(果物)とが分立する。 京菓子司桔梗屋「菓子目録」作る。
享保12年
1727年
将軍吉宗は甘蔗を浜御殿と吹上園中で栽培し、諸藩に分け、製法技術の伝播につとめる。八僊式料理調理法に五味など書かれる。カステーラ、月餅、ごま餅、かるかん、雲平など。
寛保1年
1741年
江戸向島長命寺で桜餅が作られ、江戸人の人気を得る。
安永4年
1775年
輸入砂糖の乱用阻止で京都上菓子屋が248軒に制限される。
安永6年
1777年
京都に上菓子屋仲間(今でいう製造組合)が創立される。 名物番付「富貴地座位」が刊行される。
寛政2年
1790年
越後で透明な水飴が製造される。 伏見で心天を用いた練羊羹が製造される。
文化4年
1807年
江戸で寒天を用いた練羊羹完成し、この頃菓子業界盛んとなり、献上菓子、賛祝菓子として練り物、金華糖、みじん棒、かりん糖、鉄砲玉、金つばの全盛時代である。
安政6年
1859年
横浜にホテル設立され、菓子商池田寛平西洋菓子を作る。
慶応3年
1867年
横浜元町の中川屋嘉兵衛がパンとバター、ビスケット、牛肉を新聞に広告した。
明治時代
さて明治時代になると、みなさんご存知のお菓子メーカー【森永】や【不二家】が登場します!
明治時代
明治2年
1869年
芝に文英堂パン店が開業。翌年銀座に移転「木村屋」と改名
明治4年
1871年
英国からてんさい糖苗を北海道へ移植する。ハワイ、香港から安い良品の砂糖の輸入増大する。
明治5年
1872年
村上光保が明治3年から横浜フランス人サミュエル・ペールに師事して西洋菓子の製法を修得し、宮中大膳職に奉仕した。
明治6年
1873年
岩倉具視一行はパリのチョコレート工場を視察、須藤時一郎「万宝珍書」刊行し9種のフランス風ケーキの製法を書く。
明治7年
1874年
風月堂本店でリキュールボンボンを製造する。宝露糖と名付ける。
明治8年
1875年
米津風月堂で機械を使い本格的なビスケットを製造を開始。
明治18年
1885年
菓子税なるものが創設される。対外的配慮から、砂糖に課すべきところを菓子に課された。
明治23年
1890年
第3回内国博覧会に初めて京都の飾り菓子と洋菓子出品する。
明治29年
1896年
廃止運動が実り、菓子税は10年間で撤廃される。 この頃から菓子の品質も良くなり輸出増大し始める。
明治30年
1897年
東京神田にミルクホールが開業される。これを契機に全国各地へ広がる。
明治32年
1899年
東京赤坂で森永太一郎がキャンデーを作る。(後の森永製菓)
明治33年
1900年
パリ万国大博覧会にカステーラ及び京都の飾り菓子出品する。
明治44年
1911年
第1回帝国菓子飴大品評会(後の菓子博)が、東京赤坂三会堂で開催された。
大正時代
森永製菓がキャラメルとチョコレートを発売。お菓子の製造販売の先駆者ですね!明治、江崎グリコも創業。
大正時代
大正2年
1913年
森永がミルクキャラメル(一箱20粒入・10銭)を発売。ポケット菓子の走りとなり、以降各地でそ製造が行われる。
大正5年
1916年
チューインガムの販売会社(リグレー)が創業、全国へ広がる
大正7年
1918年
チョコレートが初めて国内で製造される(森永製菓)。
大正12年
1923年
関東大震災によって洋菓子の技術者が地方に分散し、洋菓子技術が全国に波及。
昭和時代
やはり、昭和は激動です。そして戦後すぐにロッテや、ヤマザキが創業開始
昭和時代
昭和1年
1926年
第6回全国菓子飴品評会が、朝鮮の京城で開催された。
昭和1年
1926年
商工省菓子工場調査統計が発表される。全国の菓子生産額は74,260千円、うち東京20,873千円
昭和3年
1928年
警視庁、菓子の着色料、防腐剤使用について指導を強化。
昭和7年
1932年
日本製パン製菓学校(神田区新銀町)より第1回卒業生(30名)
昭和10年
1935年
第10回全国菓子大博覧会が、仙台で開催された。(このときから品評会が博覧会と改称)
昭和14年
1939年
第11回全国菓子飴品評会が、大分で開催された。 砂糖の公定価格制が実施される。
昭和16年
1941年
ドロップス、キャラメル、ビスケットが子供用菓子として切符制に。
昭和17年
1942年
第1次企業整理行われ、各地で企業の整理統合が進む。物価統制令公布、菓子の製造は不振となる。砂糖は実績による配給となるが1年間で中止される。
昭和18年
1943年
菓子製造に企業整備令が発令され、菓子製造はほとんど中止状態となる。配給制は乳幼児に限定される。 軍の納入業者以外は軍需工場に徴用される。
昭和21年
1946年
菓子企業は全く停止し、食糧は極度に欠乏、やみ市が出現し、失業者はちまたにあふれる。
昭和21年
1946年
製菓用砂糖の配給が実施され、菓子類の生産が盛んになり始める。
昭和22年
1947年
進駐軍の影響でチューインガムが流行。代用原料を使ったチューインガムが市場に出回る。
昭和24年
1949年
東京都宝くじにチョコレートが登場。 菓子の統制撤廃運動起る。
昭和26年
1951年
食品衛生法の改正で菓子製造業従業員の健康診断が義務化
昭和26年
1951年
小豆の統制撤廃される。各地に協同組合、研究所が再興される。
昭和27年
1952年
砂糖の統制配給全廃される。小麦粉の統制廃止。戦後初の博覧会、第12回全国菓子大博覧会が、横浜で開催された。
昭和28年
1953年
東京高等製菓学校が開校(昭和52年に東京製菓学校と改名)
昭和29年
1954年
第13回全国菓子大博覧会が、京都で開催。この頃から技術研究団体が各地に数多く発生し、品評会開催が活発に。
昭和30年
1955年
京都洋菓子組合が2月13~15日をバレンタイン祭にと全国に呼びかけ
昭和33年
1958年
まんじゅう、最中の自動包装機完成。和菓子も自動包装の時代へ
昭和36年
1961年
業界の誇大宣伝と懸賞特売の大規模化で公取委が調査へ
昭和37年
1962年
もち米不足で原料高。米菓業界苦境へ。餅米輸入を再開。
昭和39年
1964年
ガット11条国、IMF8条国へ移行し、OECDに加盟した
昭和40年
1965年
糖価安定法が成立。砂糖価格キロ30円の引き上げとなる。
昭和42年
1967年
初の製菓衛生師が誕生する。(製菓衛生師の資格認定試験実施)
昭和42年
1967年
大手パンメーカーの菓子進出高まる。 食品衛生法の改正により食品の表示方法施行される。
昭和44年
1969年
経済界の好況と人手不足の深刻化(中卒女子初任給2万円以上)する。
昭和45年
1970年
食品衛生法改正により食品添加物規制が強化され、表示の義務化へ。
昭和45年
1970年
大手メーカーが本格的にスナック菓子の量産を始め、スナック食品ブームへ
昭和46年
1971年
6月チューインガム、9月キャンデー、チョコレート等すべての菓子が自由化された。
昭和48年
1973年
サッカリン使用禁止へ(すでにズルチン、チクロは使用禁止) 石油ショック。物価高騰。 第18回全国菓子大博覧会が鹿児島で開催された。 貿易の自由化は100%となり、あらゆる産業が国際化時代を迎える。 チクロ、ズルチンに続いてサッカリンも使用禁止へ。
昭和50年
1975年
和洋菓子パン製造に技能検定試験が実施され、全国に初の1級、2級技能士が誕生する。
昭和59年
1984年
広域114号事件発生。店頭に毒物入りの菓子を置くた等との脅迫で、菓子業界大きな影響を受ける。
昭和60年
1985年
11月7日の立冬の日を「あられ、せんべいの日(ウインター・デイ)に決定
平成時代
平成時代
平成1年
1989年
第21回全国菓子大博覧会が、松江で開催された。初の官民共催へ。
平成6年
1994年
第22回全国菓子大博覧会が、金沢で開催された。初めて「テーマ館」設置
平成11年
1999年
製菓衛生師養成校における養成内容の充実が図られる。
平成14年
2002年
第24回全国菓子大博覧会が、熊本で開催/次期開催地「姫路」と決定
平成20年
2008年
第25回全国菓子大博覧会・兵庫が、姫路で開催された。入場者92万人
平成25年
2013年
食品表示法公布。第26回全国菓子大博覧会・広島が、広島市で開催された。入場者数807千人
日本の【お菓子】の歴史を詳しくご紹介のまとめ
世界中で一番長い歴史を持つ日本ですからお菓子の歴史も長かったですね。
【お菓子】の歴史には有名な歴史に登場する人々が顔を出していますね。昔の時代【お菓子】は高級かつ製造が難しく貴重だったため権力のある人々が、特に興味をそそるものだったんですね。
戦時中も【お菓子】を作る、食べることは「悪」とみなされるくらい食材も高価だったことが容易に想像できます。
今を生きる私達は先人の努力のおかげで毎日おいしい【お菓子】を食べられるんですね。
特に、日本の製菓技術は外国の【お菓子】に比べて数段美味しいです。
仕事柄海外のスナック菓子やチョコレートも試食しますが、国産のものと比べるとやはり見劣りします。
国名は出しませんが日本メーカーの完全なパクリ商品が数多くあります。当然、味も劣ります。
海外旅行に行った時にコンビニやスーパーでお菓子コーナーを覗いてみると面白いかもしれませんね!
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。
また、別の記事でお会いできれば幸いです。
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